かわいいコミュ障はあの日どこへいったのか
「かわいいコミュ障」とは、
どこかのお嬢さんのことではなく、このわたしのことである。
言葉が出なくてもとりあえず「はにかむ笑顔」と、
どうでもいい話でも「とりあえず合わせるテキトウさ」、
楽しませよう・楽しんでるように見せよう!と「努力するひたむきさ」。
この三大武器を装備していたことは、
コミュ障でありながらも人間関係で敵を作らない重要なポイントだったかもしれない。
若いという要因もかなり大きかったかもしれないが、
とにかく一生懸命な純粋さを振りかざしてなんとか集団の中でやってきた25年。
フッ、と糸が切れたのは突然だった。
・・・ように思う。
実際その瞬間がいつだったかなんて克明に覚えているわけではないし、
今この瞬間からわたしは変わったぞ!なんて、
元気やる気でガッツポーズな出来事でもないのでまぁなんも意識しちゃいない。
ある日、会社に行くと感じていた。
これまでに感じたことのないレベルの「あぁ~・・・かったりぃ」を。
最初に感じたのは、人と話すのがめちゃくちゃ面倒くさくなったってこと。
今までと決定的に違うのは、
👉人と話すのは苦手だしイヤ(でも仲良くなりたいから頑張る!)
↓
話すのマジだるい(別にどうなろうがいいので無言。以上)
👉よくわかんないけど、楽しいフリしなくちゃ!で、愛想笑い
↓
・・・あっそう。で、無表情
もう、人間関係改善のために頑張ろうという気力がまるでわいてこなかったんですね。
自分でもビックリ。
一生懸命気に入られようとしていた「自分」が急にいなくなった。
そんな感じ。
今は会社を辞めているけれど、
聳え立った見えない壁は取り壊されない。
あぁ、もうこれ以上傷付くのは疲れたな。
これ以上頑張ったって、もう意味ないんじゃん?
そろそろ終わりにしようかな。
「かわいいコミュ障」のわたしは、最後にそんなことを思った気がする。
大げさだけど、まじで、感情を取り戻すにはどうしたいいのだろう。
倦怠感がいつも隣にいる。
映画を見たら泣くし、ポケモンのアニメ観て感激も超する(笑)
音楽聴いて黄昏るくらいの情動もある。
ただ、人と関わってるときだけ感情が出てこない。
笑えない、息苦しい、早く一人になりたいと思ってしまう。
バトンタッチされた「かわいくないコミュ障」のわたしは、
手渡されたとんでもないバトンに今日も戸惑っている。